音楽も人を殺す
タイトルは”リーガルリリー”というバンドのある曲の一節。
怖さを持って音楽のチカラを伝える歌詞。曲の最後には”音楽よ人を生かせ”という歌詞で終わる。
音楽というものは常識や一般的な価値観を歌うものもあれば、建前を捨てて本音を叫んだり、物事の本質を突くものもある。フラストレーションを自由に吐き出せるものでもあると思う。
影響力。音楽にはそれがある。
そしてお笑い、同じ芸術としてお笑いにも影響力という言葉使われる。
不思議に思うことがある。
お笑いはやけに規制が厳しいけれど、音楽にはなぜそれがないのだろう。
音楽もお笑いも人を殺せる。
その2つの芸術は日常とは違う居住区にあるもので、だからこそ、人は惹かれ、影響され、そのパワーは同じではないのだろうか
お笑いを見せない親がいる
うっせーと怒鳴り散らすコントをみればそういう人たちは野蛮だという
そんな親も音楽禁止という言葉は聞かない
なぜだろう。お笑いを禁止された子供がadoの曲を聞くのは問題ないのだろうか
音楽もお笑いも人を殺すし、生かす。
もしそんな刺激的なものを子供に見せたくない親がいるのならば、お笑いを見せないだけの行為はぬるすぎる。
お笑いが突出して害悪ということなのか。だとしたらそれを具体的に教えてほしい。
自殺や殺人をほのめかす歌がある。
音楽に影響されてヤンキーだらけだった過去があった世代じゃないのか。校舎の窓カラスが割れてた、割ってた、その世代の人達自身がそれを言ってたのはうそだったのか?
やけにお笑いにだけヘイトを向ける世の中が謎
音楽もお笑いも人を殺し、人を生かす。そしてそれ以外の全てもそうだ。周りの友達、ゲーム、歩いていく中でみるものすべて、影響されるものなんて無限にある。
その中でなにに影響されるか、それを見てどう捉えるかはその人自身の心ではないのか?
倫理とかいう綺麗事で救いもしないくせに正義みたいな顔した言葉がある。
倫理という名の下の規制によって、殺される人たちがいることなぜ気づかないのか。
音楽に影響されて、お笑いに影響されて、先輩のヤンキーに影響されて、そうやってナイフを人に向ける人間は、なにもそれらに影響されなくてもいつかナイフを向けてる
お笑いや音楽、芸能界という存在なんて、社会とかけ離れたものだからこそおもしろかったんじゃないのか?
昔のテレビのような日常、常識とかけ離れたものだからこそ、辛い現実の中で生きる楽しみとしてテレビに救われた人は沢山いたんじゃないのか
お笑いや映画、テレビの倫理を取り締まる行為はそういった人たちを死なせたいんだろうか