土方が31歳からwebライター始めてみた

製造、土方をやっていて、パソコンすら持っていなかった31歳がwebライターを始めます。

アンチとの正しい向き合い方

たまにTikTokを見る。

 

本当によくできたアプリだと思う

 

一つの動画は数十秒で興味がなかったらスライドすればいいし、興味ないボタンみたいなのがあって、それを押せば似たような系統の動画は流れなくなってくる

 

飽きが来ずにいつまでも見れてしまう作用がある

 

個人的に好きな部分は昔のテレビに近い要素があって見たいものだけを見れないところにある

 

興味ないボタンがあって、多少は自分の好みに絞れるし、フォローした動画だけ見れる機能もあるのだが、だいたいの人はとりあえずオススメから機械的に勧められた動画を見ることが多い

 

今は観たいものだけを観れる時代になった。

便利な部分もあれば、個人的にはもったいないなと思う部分でも合って、視野が広がりづらいのもそうだし、新しいもの、自分の趣味に合わないものを受け入れてみようというような姿勢、許容が狭くなってしまう気がする

 

 

アンチなどという存在がいるが、アンチになる理由の一つに上記の原因も含まれてると思う

 

 

何にせよ、自分の嫌いなものが周りに評価されてることに不愉快になるのは正直分からない話ではない

というか、自分は言わないだけで腹が立ったりする

表に出すか出さないかだけで、アンチの思考とは変わらない

 

 

ただ、それを表立って堂々と言える思考は持ち合わせてない

恥ずかしくて幼稚な行為な上に、それに気づかないで堂々と他人を批判してる救いようのない愚かさには圧倒される

基本的に人を見下すことはあまりないが、こういったアンチに対しては、シンプルに見下してる

はっきりと自分の方が人として上だと思ってる

 

自分の気持ちを押しつけて、他人への配慮がなく、それを恥ずかしげもなくコメントして、振り返ったり冷静に俯瞰で見れる脳みそを持ち合わせていない

 

そんなアンチという存在は、一つに絞れるものではないなと最近の出来事で思った

 

いま韓国の女の子と、日本の男の子が配信でコラボしてから恋愛に発展して、キュンキュン(表立って自分がこんなセリフを言うのは気色悪くて一生ないだろうが分かりやすくするためにあえて言ってますごめんなさい)するようなやり取りをしていて、とんでもなく人気の配信になってる

 

正直、その女の子たちの照れてる感じとか、純朴な感じ、韓国の女の子らしいストレートに気持ち表す若々しさが、とっくにそんなものは枯渇した自分に潤いを与えている

よく分からん言い回しだけど、面白くてハマってる

 

男の子たちもいい意味であほにデレデレしてニヤニヤして楽しそうでなんともうらやま面白い

 

 

そうやってたまにだが配信を見てる時に、どうしてもtiktok若い人たちが多いから仕方ないと思いつつ、コメント欄は残念な内容なことも当たり前にあった

 

なぜ気づかないんだろうと不思議なほど、自分の理想、期待の押し付け、見守って楽しむ姿勢を持つことが出来ず、その立場にいないのにも関わらず指示をして、他人の感情を無視し、コントロールしてくる内容が溢れてた

 

 

ちょっと考えれば分かることなのに、ちょっとも考えられない人ばかりで溢れかえっていた

 

最終的には当然の結果だが、ある出来事が起こって、ある人に気を遣わせ、ある人は傷ついて、ある人は悲しんで、ある人は腹が立っていた

 

なにより信じられなかったのは、他人の心の機微に気づけない人ばかりだったこと

泣いたのを見て、怒ってるのを見て、やっと気付いていたこと。

 

もっと言えばまだ芯に言いたいことがわからずに、まだ空気の読めないコメントや真意をまるで理解できずに批判してた人がそんなに少なくなかったこと

 

そして、過ちに気づいた人たちの行ったことが1番引いた。ある人が腹立ちながらも感情を抑えつつ冷静に自分の思い、見る人へのメッセージを伝えた。それで自分が誰かを傷つける発言をしたと気づいた人も沢山いた

メッセージを伝えるまでのコメント欄にも、その空気の読めないコメントが溢れかえっていた。

そして、メッセージを伝えた後のコメント欄にあったのは、空気の読めないコメントに腹を立てていた人たち、空気の読めないコメントをせず配信を見てた人たち

の、コメントだけだった

 

今まで散々人を傷つけるコメントをした人たちが行ったのはコメントをやめる。それだけだった

謝りもしないの?打つのやめるだけで自分の行いを自分で許せるの?

謝りのコメントは自分が見た中では1人だけ

 

そういう感情が起こらない人たち、もしくは逃げるだけの卑怯な精神の人が気付かずに愚かに人を傷つけているんだと思った