土方が31歳からwebライター始めてみた

製造、土方をやっていて、パソコンすら持っていなかった31歳がwebライターを始めます。

オセロは、ある一つのことを知ってるか知らないかだけで勝ち負けが決まる

現場仕事をしていた頃、立場が上の人はお金に汚く、ずるく、人を見下す傾向の人間が多かった

 

私の周りがそうだっただけなのかもしれないが、

職業柄、年功序列ではなく、仕事のスキル、コミュニケーションの腕がものをいう世界。お金に対する欲が強く、のし上がっていこうという傾向の人が地位の高い立場になりやすいのだと思う

 

野心や、良い悪いは別にして地位やお金を手に入れる賢さは学ぶべきこともあったのだろうが、どうしても尊敬の念を抱けない、むしろ侮蔑的な感情さえあった。雇われの身としてこういった人たちに搾取され、安い銭で稼ぐのが嫌になった。

 

 

だから、自分が雇う身になって、居心地の良い環境を作ろうと思って努力した。

 

最終的には自分が仕事を取って一緒に働きながら給料を払う身になったのだが、辛い日々が多かった

しかし、その辛い日々で得た知識や経験は、一生残る財産になった。

 

その財産の一つが、あることを知ってるか知っていないかだけで、勝ち負けがはっきり決まるということだ。

 

タイトルで言ったオセロの話。

 

オセロに勝つコツを知らない100人を集めたとする。50人にはあることを耳打ちし、残りの50人は何も教えない。

 

それだけで殆どの確率で耳打ちされたほうが勝つ。実際にやるまでもないほど、明らかに勝率に差がつく。

 

耳打ちする内容は「前半は出来るだけひっくり返すコマを減らしなさい」

それだけのこと。

 

それだけで勝ってしまう。

コツを知らない人は、出来るだけコマをひっくり返そうとする。

前半は、盤面を見るとあきらかに不利なように見える

 

しかし、後半になるにつれ、コツを知らない人たちは焦る。あれほど、自分のコマばかりで有利だと思ってたのに、自分の色が失っていく。

 

一つのことを知るだけで、それを知らない人たちに負けることは殆どない。

 

 

地位や収入、仕事の腕をあげる、なんにしても努力することは必要だけれど、間違いにも陥りやすい。

 

目的を忘れて、ひたすらに頑張ることで、これだけやったという満足感を持ったり、自分は努力できる人間なんだと悦に浸りやすい

 

 

必要なのはどれだけ楽に、どれだけ努力せずに目標へ向かう方法を見つける努力をすることだと思う。

 

 

地位を上げることがトーナメント制だとしよう。

 

トップを狙うのは別として、一回戦さえ勝って半数にさえ残れば、それなりに余裕が出来て、メシが食える状態になる。

 

二回戦以上勝ち上がるには、センスや努力やコツとか色々なものが必須になっていくのは間違いないけれど、現場仕事に関して言えば一回戦はそんなものいらない

 

コツに気づくだけ。

 

そのコツは長期的に物事を見る。それだけ

 

 

他の仕事というか、人生を生きる上で一回戦勝ち抜くのに必要な要素はそれだけなんじゃないかと思う。

 

誘惑に流されず、野生的な思考をやめて、長期的に考えるだけで、今までそうしてこなかった人の人生は大きく変わるはず。

 

 

雇う側で、目先の金のことしか考えず、結果的に損ばかりしてる人たちが沢山いた。

 

 

さるかにがっせんのさるばかり

 

あの頃はかにとして生きていたし、

常に私はカニになりたい

 

寝床の上の王様

寝床は寝る以外のことで使用するのはよくないらしい

 

ここは睡眠を取る場所!という認識によって入眠しやすくなるとのこと

 

寝ながらスマホをイジる人は多いと思うが、当然よくない。そもそもスマホなどのブルーライトは意識を活性化させる最悪の行為だ

 

 

しかし、自分もベッドの上で本を読んだり、スマホをイジることが多いし、その時間が好きでたまらない

 

1日の終わり。仕事や家事を済ませて、やらなきゃいけないことは「寝る」だけになる時間。それ以外の課題はない。

自由を感じる時間。

1日を癒す時間。

誰だって寝床の上では王様か、はたまたお姫様だ

この時間を過ごすために、今日を頑張ったんじゃないかと思うことは少なくない。

 

一つ問題があるとするならば、誰にだって明日があるということだ

 

寝床での過ごし方で、明日が決まるといっても過言ではない

寝不足になればストレスに弱くなり、頭が回らず、鬱傾向にもなりやすい。健康にも肌にもダイエットにもメンタルにも悪い。

悪性のオンパレードだ。

 

それを知りつつも、やはり、どうしても寝るのは惜しい。損をしてるのに、惜しいと思う

 

寝た瞬間に冠は外される。ガラスの靴を落とす。カボチャの馬車はカボチャになる。

そう考えれば寝なければ、針が12時を指すことはない。

 

そして目覚めて気付く。夢を見過ぎると現実が辛くなるんだと。

後悔しながら裸の王様は急いで服を着て、寝床の王の座につくために、働く。

 

 

 

 

パン屋ではおにぎりを売れ

昨日買った本のタイトル

 

本を選ぶ際の基準としてタイトルはとても重要だと思う

 

特に今回買った本のように、わかりやすくインパクトのあるタイトルのメリットは大きいと思う

本が特別好きじゃない人の関心を引けるからだ。

 

本を読むことが習慣化されているような人ならば、「本を買うか買わないか」という第一関門は自ら開けている。

そうなれば、「何を買うか」からスタートするが、本を読むことに慣れてくると自分の好みも理解してくる。

 

タイトルを見て内容をパラパラと見て把握し、言葉遣い、言い回し、文字のサイズ、大まかな内容、それらを吟味し興味の持てる内容、自分にとって必要なものが書かれているものかを判断し購入にいたる、もしくは自分が買いたいと思っているジャンルをどかっとまとめて買う。あとは周囲の評価を見て買うこともあるだろう

 

当然人にもよるから、タイトルや、感覚で買って「遊ぶ」人もいるだろうが、それは小説などの話で、ビジネス書や学術的なもの、政治、経済なんて知識を取り入れたいジャンルでそういった遊びは中々しづらい部分がある

それに、そういった本に関心があるような人は、限りある時間を惜しみなく、かつ効率的に使いたいという思考の人が多いはずだ

 

しかし本を読むことが習慣化していない、そこまで本に対してストイックさを持ち合わせていない

けれども、本を読みたいという気持ちはある人たち

 

いまの時代それが特に多いのではないかと思う

100年時代だなんだ、少子高齢化が進み年金がもらえないだとか、若い人が起業したり、ネット配信やアプリを作って稼いで、すぐにだって、誰にだって稼げるんだっていう声もある。

悪い意味、良い意味どちらのアプローチからでも、個人で生き抜く時代にあることを推すエネルギーが常に漂っている

 

そんな飽和状態に住む人達は、焦りや不安を持ちながらも本に対するハードルの高さ、読もうとする意思を持つことのストレスがあったりする。

そんな時に表紙が分かりやすく、フックとして機能する興味を惹く、ある種かんたんで分かりやすいのではないかと思わせるタイトルがいま一番売れ筋のフォーマットじゃないかと思う

 

見た目の取っ掛かりやすさで買う人を引き込み、内容が良ければ本が好きな人にもその評判が広がる一石二鳥のシステムにもなっている

 

キングコング西野さんの著書や、オリラジの中田さんのユーチューブが流行る理由もそこにあると思う

 

もちろん本人に魅力があってからこそで、ファンとして本を買ったり、ユーチューブを見ている人もいるが、キングコング西野、オリラジ中田というネームタイトルがとっかかりやすいものにしてくれているというのも大いにあるはずだ

 

沢山文字が詰め込んであり、内容が濃ければ濃いほど、得ではある気がするのだが、購入まで持っていくには、文字のサイズを大きくし、漢字を減らしレイアウトの面でも空白を増やし、厚みも薄い方がいいのだろう

 

分厚くても1日1ページずつ読むように進める本も結局はハードルを下げる意味で同じ

 

本のタイトルをタイトルにしながら中身について何も紹介せずに終わったが、タイトルだけでガッカリしない面白い本であることくらいはさすがに言っておく

先々週は前向きで、先週は落ち込んでいて、今週は落ち込んでいる

ライターの仕事を始めて少し経った。

 

同期は8人。

仕事を覚える早さ、文章を作るセンス、原稿を作成する早さ、レイアウトのセンス、コミュニケーション能力。

他と比べるとどれも劣っている。

当然といえば当然だが、だいたいの人がデスクワーク経験者。データ入力の仕事をやっていてタイピングが速かったり、校正をやっていて言葉の扱いに長けていたり、プログラミングをやっていてパソコンに詳しかったり、デスクワークは初めての人もいたが、趣味でプログラミングやDTMを作ったりしいる。

 

だから、まぁ仕方ないよな。と言い訳してるだけ

 

そもそも、比較するとしたら過去との自分で周りと比べることはあまり正しいこととは言えない。分かってはいる。

しかし、近いデスクに固まって、周囲の進み具合も自然と耳に入るし、褒められたり、注意されたりしてる状況が分かる空間にいる以上、全く意識するな、というのは出来かねる相談だ。

正直イヤホンをして作業したい。

のどちんこを作る暇があったのなら、耳の穴にシャッターが降りる機能でもつけてくれたら良かったんだ。

 

 

しんどい。精神的に辛い部分は大いにある。

ただ、めちゃくちゃしんどいのに絶対やめたくない。

今まで自堕落に過ごして、適当に仕事してきた自分にとって、初めての感情でこのもどかしさを落ち着ける手段がわからない。

 

ここの職場で経験を積んで、自らも進んで学んで精進していけば、凄く良い未来、自分が進んで行きたい次のチャプターに変わるだろうという確信はある。

 

 

じゃあ頑張るしかないのだが、突き進む上で課題はいくつもあって、何度も壁にぶち当たるのは予測できる。そこでもっと逆境にたいして前向きであり続ける性格ではないのが不安だ。

 

プレッシャーの弱さ、過剰なあがり症。自分の弱点だが、納期があり常にそういった状況に置かれる今の仕事にとても相性が悪い。

この弱点に関してはものごころついた頃にはすぐ自覚するほどで、社会人という人種になったころに弱点が災いし大打撃をくらった。、社会人にとって相当のアドバンテージであり、生きることが辛いことになる大きな原因であると身を持って知った。

 

このままだと死ぬ、とシンプルに思った自分は心理学や脳科学などを学んで対処に懸命に努めていた。

そのおかげで昔に比べればだいぶマシになった。そう、この職場で「マシ」程度だったと思い知らされた。

 

 

苦しい道の先にこそ、楽や幸福が待っている。挑戦する意思を持ったこと、苦しい道に身をおいた自分を評価するべきだし、そこは過去の私が相当褒め称えていることだろう。

ただ、それだけじゃ乗り切れない時間が度々ある。

 

それを一瞬で覆すメンタルツヨクナールみたいな薬はないだろうか。と考えながら今は友人と酒に頼っている。

 

一年後にはこの記事を読んで少し余裕をもって笑えているだろうか。

もしそうでも、そうじゃなくて今みたいに凹んだりを繰り返しているとしても、とりあえずは未来の自分と乾杯して酒を酌み交わしたいなと思う。

 

 

 

もっと頑張りたい

神を信じない人だって神に祈る

学生時代に神を崇めて信仰する人を嘲笑ってそんなのに頼らず自分で頑張る、と言っていた人がいる

 

 

だけど彼は、負けたら全員の荷物を持つジャンケンでも、席替えのくじを引くときも、受験の時だって何かに祈っていた。

年の初めは神社で鈴を鳴らし、手を合わせていた。

 

彼のその祈りは神に向けてのものだったんじゃないだろうか?

 

 

これは彼に対しての批判ではなく、無宗教だろうが、神に頼らず自分でやり遂げようとする人だろうが、神を全く信じていない人ですら、神に祈ることは必ずあるのだと思っただけの話である

自分も神なんて信じていないがそういえばいつのまにか祈ってるときがある

 

精一杯やって自分でやれることは何もなくなった状態。

もしくは、何も出来ることがなくただその状態を見つめることしか出来ない状態。

 

そういう抗えないものに抗いたい、何もできないけれど何かしたいという想いに神は現れて無意識に縋っているのだろう。

 

そういった意味では私は神を信じている。

 

人間失格は太宰が唯一道化を脱ぎ捨てて語った自伝か?

小説をほとんど読まない人ですら知ってる有名な小説、太宰治人間失格

 

沢山の人が解説し、さまざまな感想を述べられている作品である

 

そういった感想を読んでみると「生涯を全て曝け出した自伝」みたいな扱いをする人たちがいる。

どう捉えるかは人の勝手であり、その勝手さが面白いものとは思う。

ただ、これが太宰治が自らの人生を赤裸々に語った自伝とは到底思えない。

 

私は私の勝手で勝手を否定する

 

主人公は暗くネガティブで、常に満たされない状態にあり、周囲の顔色を伺って道化を演じる男

これは正に私だ。自分のことを言ってるみたいだ。なんて思う人も沢山いる。

そりゃあ明るくポジティブで、無駄に考え込まず飄々と楽しく生きてる人間が100人いれば、それに対をなす人間も100人はいるだろう

 

私もその中の1人だった。

 

常に人に怯えて、どうせ嫌われてるんだろう、蔑まれてるんだろうと勝手な被害妄想を膨らまし、すぐ傷つき、誰のことも信じてるふりして疑ってばかりいる。

 

そのくせ人前では空気が悪くならないために明るく振る舞い、常にヘラヘラして自分を他人より下げることで笑いを取り、周りが面白がるだろうと思えば平気で思ってもないことを言ったり、嘘をつく。

自分の本音を言うこと以上に、周りがなにを求めているかばかり考えて話す。

 

あきれられながら「ほんと適当だよね。悩みごととかなにも無いでしょ?」

と言われるたびに、ヘラヘラした笑顔を作り

「全くない」

と大嘘をつき、笑われることで安心する。

そうやって人と別れたあとには必ず今日の出来事を振り返ってひたすらに悩み、落ち込む。

 

 

太宰治と似てる部分は十分持ち合わせてると思う

だからこそ全く異なる部分が分かりやすく浮き出るとも言える。

その異なる部分の一つ目は、顔や雰囲気に妖艶ともいえる魅力があってわりかしモテていたこと。これはもう自分とは真逆と言い切っていい。

 

 

二つ目はナルシシズムの違い。

確かにこれほど醜い顔でも妙なところでナルシシズムを発揮するところはある。ただ、太宰のような周囲からの評価を受け入れ、自分は特別でかっこいい人間だと自負するような系統ではない。

他人からの自分への賞賛を真っ直ぐ受け止める気質は自分の中にはあまりない。

 

最後に三つ目は、周囲から頂く恩義や愛情に対しての扱い、結果。

これに関しては「人間失格」以外の小説含めて得た太宰治のエピソードに基づくが、彼は、愛情や恩義に感謝はしてもそれに満たされることは無く、それを軽薄に受け止めたり、申し訳ないと思いつつも形としては裏切ってばかりいる。

 

確かに、自分を信じれないからこそ他人からの私の評価や、気持ちを素直に受け止めない性根の悪さは持っているし、恩義を軽薄に扱うだらしのなさも持ち合わせている。

ただ、まず恩義について言えば、真摯に向き合いしつこく私を見捨てなかった人には太宰治に比べればしっかり返そうとする意思、行動がある。

愛情については、それが恋人だったり、告白してくれた相手、親友、身内などよっぽどのものであれば真っ直ぐに受け止め、溢れんばかりに心は満たされる感覚になる。

似た性質ではあっても太宰治とは心の渇き具合が全く違う。

 

 

このように似ていると思いつつも、三つほど私とは違うと言い切れる性格もあることを理解した上で「人間失格」が全てを曝け出した自伝なわけがないと思ってることを理解して頂きたい

 

 

その理由をさっさと結論から言えば、このような、周りの顔を伺い、道化を演じる人間の私が、例え、明日死ぬと言われたとしても、自分の過去の過ちや素顔を曝け出した本や何かを残すとは、到底思えないからである。

 

 

結局ただの自分の話か、と思われるだろうが、私や太宰と同じような誰にでもいつまでも道化を演じきる人間なら理解してくれるだろう。

 

いつまでも失敗や苦労を隠し、ごまかし、長引かせ、どんどん始末が悪くなり、どうにも手がつかなくなった頃に嘆き、自分を責め、それでもまだ素を出せない気の弱さ、過剰な羞恥心、卑屈さ、相反するようでそれにくっつくプライドの高さ、ナルシストさ、ようは見栄のかたまり

そんな私や太宰治のような人間は墓場までプライドを抱えるに決まってる。

 

お前がそうなだけで、理由になってないと言われれば、特別言い負かせられる証拠などないが、そうに決まってる。

 

地中に埋まった茎までは掘り起こして見せてはいるのかもしれない、ただ絶対に根っこのひげまで堂々と見せることなんかするわけがない。

 

しかも、太宰治のような人間は、これが私の全てだ、これが根っこのひげだ!と騙す才能は天下一品である。

これほどまでの物書きの才能があれば、もうそれは悪魔さえも騙し切れるスキルがあっただろう。

 

 

もっと言えば、私や太宰治のように至るところで道化師を続けている人間の素顔は、本人ですらもう分からなくなってる。

なにしろ、自分は1人でも、他人は沢山いる。その都度その都度で人に合わせた態度、キャラクターでいて、思ってもない言葉を言い続けていれば何がなんだか混乱するし、本当の自分なんか地球のマントラくらいまで埋まって見つからない

 

 

これを読んで、それでも「あれは全てを曝け出した自伝」だと言い切るなら、いつまでも顔色を伺い、自分の意思とは違う答えをし続け、様々な過ちや後悔を体験してみてから、それを証拠に否定してほしい。

必ず、あなたは確固たる自信を持って「あれは全てを曝け出した自伝なんかでは決してない」と言うだろう

 

 

過去は変えられないが、過去の意味は変えられる

今、テレビで天気の子が放送されてる。

 

こういった話を見ると感動はあるがそれ以上に学生時代に青春したかったなぁという気持ちになる。

 

青春って言葉は不思議なもので、ぼんやりとしたもののようで誰もが感覚で意味を理解していて、誰もがその言葉にどんな方向であれ感情を揺らされる。

 

そんな力のある言葉に動かされる感情が自分にとって虚しさや後悔であることを思うとため息交じりに笑えてしまう。

友達とくだらないことをしてはしゃぐみたいな意味の青春はあったが、何かを頑張った、壁を越えようとしたみたいなことで生まれる青春は極々僅かだ。

 

他人とまともにコミュニケーションを取れなかったじぶんにとって恋愛なんてものもまったくなかった。

 

それがあるからこそに生まれる自分の個性や価値観もあって面白いと思えることもあるが、学生時代に恋愛したかったなぁと単純に思う。

 

 

学生時代に暗かった人が大人になって変にコミュ力をあげて人と絡んだり、遊びに全力を注いでいたり、やけにチャラくなることがある。

青春巻き返し症候群とでも言うべき症状に私もなった。

前向きに生きれたり、人脈が広がったり、良い方向に転がることもあったが、悪い方向にから回ることも多かった。

 

たまっていたフラストレーションが社会人になって爆発し、遊びに生き、変に無茶したり刺激を求めることが多かった。

その場しのぎの適当さは長期的に残る財産はほとんどなくて、人生の借金をためる羽目になった。

ただその青春巻き返し症候群にならなければ財産も借金も産まなかったと思う。なんでもない日々を過ごしてたよりは、後悔や反省の借金を教訓という財産に変えて返済している今はマシだとも思ってる。

 

 

過去を活かして今を生きて未来に行く